金曜倶楽部

俺は人間をやめるぞ!チュチューーッ!!

ユーモアについて

 ユーモアという言葉の意味を知っているだろうか。笑いのセンス?俺はそんな認識だ。

 

 調べてみると、なんと“ユーモア”という言葉の意味は【体液】と表記されているのだ。

    この体液の意味を持つユーモアという言葉がなぜ「笑い」のニュアンスを含むようになったのか気にならない?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

OKだ。説明しよう(^ω^)

 

 むかし、西洋医学では人間の病気や体質を考える際に“体液”というものを重要視していたらしいんだ。体液というのは4つに分類され、血液、粘膜、胆汁、黒胆汁、これらのどの体液が優勢かで体質が説明され、4つの体液の不均衡によって病気が説明されてたそうだ。

 とあるイギリスの舞台喜劇はこの体液の学説を利用して、体液の異常からくる変人を演じて観客を笑わせたそうだ。ここに「ユーモア=笑い」という印象がついたんだ。次第に体液学は衰退して、ユーモアという言葉には笑いという意味だけだ定着したってわけだ。

 

「笑い」とは、社会と関われば切っても切り離せない存在だ。

 本来、笑いというのは愉快な気分が伴うものであるため、「ああ、あの人は笑ってるからきっと楽しいんだ」と、笑いそのものが“感情”だと誤解されがちだ。

 

それは違う。

 

 内心愉快だろうと顔色ひとつ変えない人もいるし、逆に、面白くもなんともないのに笑っている人もいる。

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 何が言いたいのかと言うと、愉快な感情によって笑いが誘発されることはあるけど、笑いそのものは感情ではないということだ。

 

「笑い」というのは何か刺激があって生じるわけだが、脳ってのはすごいんだ。様々な刺激がある中、瞬時に「笑い」に相応しいかを判断し、さらにどのような「笑い」の反応が相応しいかまで瞬時に判断し脳が顔や体の筋肉に指令を出して表情や動作で表現させている。

「これは面白い!手をたたけ!」などの電気信号を体に送るわけだ。

 

 逆に面白くもないものに関しても「ん~~・・・笑っとけ」と、表情筋を動かし愛想笑いをさせる。生意気な子供に内心イラついても優しく対応する。このように、自分の主観的感情を抑えつつも笑い演じる能力があるんだ。人間は

 コミュニケーションをとる中で内心は「バカか」と思っても「ここは笑っておこう・・・」というように大抵の人はその都度、必要に応じて作り笑いを演じているはずだ。

 

 シェイクスピアの言葉で「人生は芝居だ」とある。人間は誰しも多少なりとも「役者」なのかもしれない( ˘ω˘ )

 

 俺はよくラジオを聴くんだが、その放送には「笑いのサクラ」が存在している。このサクラの効果が覿面で、とにかくつられて笑ってしまう。笑いは伝染するのだ。笑いだけではない。もらい泣きだって、あくびも。

 人間には本能的に共感するメカニズムがあるんだと思う。人と会話するとき、相手が微笑むと自分も微笑んでしまう、人にはそんな条件反射が組み込まれているんだ。

 

 

 人間が社会で共同生活していく上で“共感”が、協調性や助け合いの基盤となっていると思う。

    後輩を叱るとき、笑顔を見せられると怒る気が失せることがあるんだけど、察するに、笑いとは防衛本能であり、暴力行為の発生を食い止める行為であるとも考えられる。

 

    まとまらない話だが、俺は笑いという行為の奥深さに感動をしたという話だ。